大判例

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京都地方裁判所 昭和63年(ワ)870号 判決

原告

株式会社龍村美術織物

右代表者代表取締役

C

原告

有限会社龍村織寶本社

右代表者代表取締役

D

右両名訴訟代理人弁護士

野島董

梅山光法

土肥原光圀

被告

B

右訴訟代理人弁護士

寺島健造

岡澤英世

右輔佐人弁理士

中山伸治

主文

一  被告は、別紙第一ないし第三被告製品目録記載の帯地及び帯を製造、販売又は販売のための展示をしてはならない。

二  被告は、別紙第四ないし第八被告製品目録の各(一)記載の裂地及び同各(二)記載の裂地による製品を製造、販売又は販売のための展示をしてはならない。

三  被告は、原告株式会社龍村美術織物に対し、金一〇二万円とこれに対する昭和六三年二月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告は、別紙被告標章目録記載の標章を帯及び帯地のカタログに商標として用いてはならない。

五  被告は、原告有限会社龍村織寶本社に対し、金一三〇万円とこれに対する昭和六三年二月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

六  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

七  原告株式会社龍村美術織物に生じた訴訟費用の二分の一を同原告の負担とし、その余の訴訟費用の全部を被告の負担とする。

八  この判決は、主文一ないし五項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  原告の請求

一  原告株式会社龍村美術織物(以下「原告美術織物」という。)

1  主文一、二項と同旨

2  被告は、原告美術織物に対し、金一四四〇万円とうち金一二八二万円に対する昭和六三年二月二一日から、うち金一五八万円に対する昭和六三年四月二二日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告有限会社龍村織寶本社(以下「原告織寶本社」という。)

1  主文四項と同旨

2  被告は、原告織寶本社に対し、金一五〇万円とこれに対する昭和六三年二月二一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 当事者の身分関係

訴外亡龍村平蔵(以下「初代平蔵」という。)は、明治時代に織物業を始め、織物の研究等に功績を残すとともに高級帯地の製造に力を注ぎ、昭和三一年に芸術員恩賜賞を、昭和三三年には紫綬褒章を受けた人物である。そして、初代平蔵の二男が訴外亡A(以下「訴外A」という。)であり、三男が被告、四男が原告美術織物の代表者C(以下「C」という。)、六男が原告織寶本社の代表者D(以下「D」という。)である。

(二) 原告ら

初代平蔵の事業は、戦前、訴外Aにより承継されていた(同人は、龍村織物株式会社の設立者)が、戦前間もなく経営危機に陥った。原告美術織物は、昭和三〇年一二月、DやCにより設立され、訴外Aの事業を承継・再建し、創業以来、高級帯地や裂地を製造販売している。昭和六三年当時の年商は約二〇〇億円である。

原告織寶本社は、原告美術織物に密接に関連する会社であり、不動産、商標権の所有、賃貸、管理、運営を行う会社である。

(三) 被告は、織物、室内装飾品、袋物、和装小物、帯及び帯地の製造販売を営むものである。

2  被告の不正競争行為

(一) 原告美術織物は、設立当初から、自己の工場で、第一ないし第三原告製品目録記載の手織りの高級帯(以下、別紙目録記載の製品については、目録の順序に従い、別表に記載のとおり「原告第一製品」「被告第一製品」などと表示する)を製造し、これに同目録記載の商品名を織り込んで「龍村平蔵製」の商標を付し、百貨店の高島屋の各店、三越、伊勢丹、大丸、松坂屋などの一流百貨店や全国の有名呉服店などで展示販売してきた。特に、高島屋グループでは、原告美術織物設立当初から東京、大阪の店舗に、その数年後には京都の店舗に、さらに昭和五二年以降横浜の店舗にも、常設の龍村コーナーを設け、毎年定期的に展示会も開催している。これら帯と同様の柄の帯を製造している業者はなく、これら帯は、遅くとも昭和四〇年代初めまでに原告美術織物の製品として全国的に周知されるようになった。

(二) 原告美術織物は、初代平蔵の研究成果を基礎にしながら、創作裂地の考案・制作に努めた。原告第四ないし第七製品は、いずれも、一二〇センチメートルの広幅の先染紋織の絹織物の裂地であり、原告美術織物の創作にかかるものであるところ、同原告は、別表記載の時期以降これらを製造し、テーブルセンター、袋物、茶道具等に加工し(一部は裂地のまま)全国に販売している。これら裂地と同様の柄の裂地を製造している業者はなく、これら裂地は、原告美術織物の製品として有名であり、全国の茶道具の愛好家に特に著名である。

(三) 被告は、別表に記載の時期以降、原告第一ないし第七製品と酷似する被告第一ないし第七製品を製造販売した。これは、帯や裂地の取引社会において、右原告製品と誤認混同を生じさせる行為である。

原告美術織物は、昭和三〇年一二月の会社設立以降二〇年以上にわたり、原告第一ないし第七製品の柄を独占使用していたのであるから、それら原告製品は、被告の右行為のころには、取引社会で原告美術織物製品として周知であり、被告の右行為は不正競争防止法一条一項一号に該当する。

3  被告の意匠権侵害行為

(一) 原告美術織物は、別紙意匠権目録記載の意匠権(以下「原告意匠権」という。また、その意匠を「原告意匠」という。)を有し、原告意匠を使用して裂地を製造販売している。

(二) 被告は、別表記載の時期以降、原告意匠と酷似する柄を使用して被告第八製品を製造し、これを販売している。

4  被告の著作権侵害行為

(一) 原告美術織物は、原告第四商品につき、別紙原告の説明書目録記載の説明文(以下「原告説明文」という。)を著作し、これを同製品の説明書として製品に添付して使用している。

(二) 被告は、被告第四製品の販売に際し、別紙被告の説明書目録記載の説明文を印刷した説明書(以下「被告説明書」という。)を添付している。

5  被告の商標権侵害行為

(一) 原告織寶本社は、別紙原告商標権目録(一)及び(二)記載の商標権(以下「原告商標(一)」「原告商標権(一)」などという。)を有する。

(二) 被告は、別紙被告商標目録記載の標章(以下「被告標章(一)」などという。)を付した帯を製造販売し、被告製品のカタログ「傳匠名錦」の中でもその標章を帯の商標として使用している。

6  損害の発生及び数額

(一) 不正競争行為に関するもの

被告は、昭和六〇年三月一日から昭和六三年一月三一日までの三五か月間(被告第三製品については昭和六〇年五月一日から昭和六三年三月三一日の三五か月間)、被告第一ないし第七製品を別表記載の数量販売した。その結果、原告美術織物は、別表記載のとおり、右販売による被告の利益合計額一二八八万円の損害を被った。

(二) 意匠権侵害に関するもの

被告は、昭和六〇年三月一日から昭和六三年一月三一日までの三五か月間、被告第八製品を別表記載の数量販売した。その結果、被告は、右販売によって別表記載のとおりの利益を得た。その額一〇二万円は、原告美術織物が受けた損害である。

(三) 著作権侵害に関するもの

被告の前記著作物無断使用行為により、原告美術織物は信用を失い、少なくとも五〇万円の営業上の利益を喪失した。

(四) 商標権侵害に関するもの

被告は、昭和六〇年三月一日から昭和六三年一月三一日までの三五か月間、被告標章(一)及び(二)を付した帯を、別表記載の数量販売した。その結果、被告は、右販売によって別紙記載のとおり利益を得た。その額一五〇万円は、原告織寶本社が受けた損害である。

7  よって、原告美術織物は、被告に対し、

(一) 不正競走防止法一条に基づき、原告第一ないし第七製品との混同行為の差止め

(二) 意匠法三七条に基づき、原告意匠権の侵害行為の差止め

(三) 著作権法一一二条に基づき、原告著作権の侵害行為の差止め

(四) 民法七〇九条に基づき、右混同行為や侵害行為による損害賠償金一四四〇万円と本件各訴状送達の日の翌日(一二八二万円につき昭和六三年二月二一日、一五八万円につき昭和六三年四月二二日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払

をそれぞれ求める。

また、原告織寶本社は、被告に対し、

(一) 商標法三六条に基づき、原告商標権の侵害行為の差止め

(二) 民法七〇九条に基づき、右侵害行為による損害賠償金一五〇万円と本件訴状送達の日の翌日(昭和六三年二月二一日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払

をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)、(三)の各事実は認め、同1(二)の事実は知らない。

2  同2については、原告がその主張にかかる原告製品を製造販売していること、被告が原告主張の被告製品を製造販売していることは認めるが、原告製品が原告美術織物の製品として知名度が高く取引社会で周知されているとの点は否認する。

初代平蔵は、大正から昭和にかけて、正倉院の宝物の裂地などを研究・復元し、それらの模様を自由に織り出す技法を得て、帯地や裂地を創作した。原告第一ないし第七製品や原告意匠は、いずれも初代平蔵の業績にかかる模様を基礎にしているところ、それら模様を使った織物は、戦前から戦後にかけて、初代平蔵の製織にかかる「龍村の織物」として著名であった。すなわち、それら織物は、決して「原告美術織物の織物」として著名であったわけではない。そして、初代平蔵の子供である訴外A、被告、D、Cは、いずれも初代平蔵の業績を承継したのであるから、被告製品も原告製品も、ともに「龍村の織物」として似通っているのも当然の結果である。しかし、これは、被告の不正競走行為の結果ではない。

なお、原告第一ないし第七製品の各種図柄・模様は、日本に古来から伝わる裂地の模様(それ自体は公知公用の模様であるといえる。)を復元して開発された商品の装飾であるから、商品の美観を醸し出すものではあっても、独創性や特徴を欠くものであり、特定の商品の製造主体や出所(すなわち原告美術織物)を表示するものとはなりえない。したがって、それら図柄・模様自体は、決して、取引社会において商品の出所表示という意味での周知性を獲得するものではない。

3  同3の各事実は認める。

4  同4については、原告美術織物が原告説明文を印刷した文書を原告第四商品の説明書として使用している事実は認めるが、同原告がこれを著作したとの点は否認する。

原告説明文は、昭和三八年に朝日新聞社が発行した正倉院宝物染色の図柄・模様の説明文とほぼ同じであるところ、その著者は正倉院事務所の和田軍一という人物である。すなわち、原告説明文は、原告美術織物の創造した著作物ではない。

5  同5(一)の事実は認めるが、同5(二)は否認する。

被告標章は、いずれも、当該商品の図柄・模様につき古来から名付けられた名称を用いて、商品の図柄・模様の由来を説明するために使用しているのであって、商標として使用しているのではない。

6  同6の事実は否認し、同7は争う。

三  抗弁

1  不正競走行為に関する被告の主張

(一) 被告は、昭和二五年、兄弟である訴外A、D及びCと袂を別ったが、自らも初代平蔵の業績を承継するものとして、昭和二五年一二月二九日、「龍村の織物」の製造・販売会社として龍村商工株式会社を設立した。その後、被告は、販売部門を独立させるため、昭和四〇年七月二七日に株式会社タツムラを、昭和四五年四月二〇日に株式会社龍村織宝を設立し、昭和四八年二月一三日には有限会社龍村織物を設立するなどして織物の事業を展開してきた。

そして、被告は、昭和二六年四月一日、初代平蔵の承認のもと、訴外Aとの間で、「手織りにより製作する高級な帯・帯地を中心とする美術織物の製造・販売は訴外Dにおいて行い、動力織機により製作する織物の製造・販売は被告において行う。」旨の家業の承継についての事業分割の取決め(以下「本件合意」という。)をした。Dもこれに同意している。本件合意に基づいて被告製品を製造・販売する行為は、正当な行為である。

(二) 仮にそうでないとしても、原告美術織物は、被告の製造・販売行為を長期間黙認してきたのであるから、被告に対し、その製造・販売行為を黙示的に承諾したものである。

(三) また、右のような経緯があって長期間にわたる被告の製造・販売行為を容認していた原告美術織物が、突然、本件合意を反古にして本訴請求を行うことは権利の濫用として許されないところである。

(四) 仮にそうでないとしても、被告は、本件合意があると考えて、原告美術織物設立前から長年被告製品を製造・販売していたのであるから、不正競走防止法二条一項四号にいう商品表示の善意使用者である。

2  意匠権侵害に関する被告の主張

原告意匠は、正倉院の宝物の中の「七曜四菱文暈繝錦」という図柄と同じであるところ、右図柄自体は、日本国内で刊行物により公知であり、いわば国民的財産として一般に自由に使用しうるものである。原告意匠には何ら創作性がなく、原告意匠権は意匠登録の要件を欠くものであり、無効審判の対象となるものである。このような意匠権については、無効審判の確定をまたずとも、類似製品を製造する行為が権利侵害となるものではない。

3  商標権侵害に関する被告の主張

原告商標は、いずれも、古来から日本に伝わる裂地の図柄・模様の由来を説明・表現するための普通名詞ないしは慣用的表現であるから、商標登録の要件を欠くものであり、無効審判の対象となるものである。このような商標権については、無効審判の確定をまたずとも、類似標章を使用する行為が権利侵害となるものではない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)の事実は全部否認し、同1(二)ないし(四)の主張は争う。

原告美術織物設立後二〇年以上、原告第一ないし第七製品に類似・匹敵するような帯地や裂地を製造販売する者は全くいなかったのであり、被告が被告第一ないし第七製品を製造・販売し始めたのも比較的最近になってからである。被告が、昭和二五年に訴外Aとの間で初代平蔵の事業を分割する旨の合意をしたとか、初代平蔵の業績を承継して古くから織物業を営んでいたようなことはない。

また、初代平蔵が戦前に正倉院の宝物など歴史的に由来する裂地の研究・復元を熱心に行っていたのは事実であるが、原告第四ないし第七製品の模様は、初代平蔵の復元した模様と同一ではなく、それを基礎として原告美術織物が独自に商品化したものである。被告がこのような原告の裂地と酷似する裂地の製造をすることは、初代平蔵の業績の承継とは何ら関係がない。

2  抗弁2、3の各事実はいずれも否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一被告の不正競走行為について

一請求原因1(一)及び(三)の各事実、同2のうち原告が原告第一ないし第七製品を製造販売している事実、被告が被告第一ないし第七製品を製造販売している事実は、いずれも当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実、〈書証番号略〉、証人小野修市、同宇津木守昭及び同細野敏弘の各証言、原告代表者C及び被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告らの設立経過等

(一) 初代平蔵は、明治時代に織物業を始めたのであるが、非常に研究熱心な人物で、大正時代には政府機関の依頼により正倉院の宝物たる古代裂などの研究・復元に功績を残し、織物業者としては高級帯地の製造に力を注いだ。

初代平蔵の二男訴外Aは、昭和一三年、龍村織物美術研究所を設立し、初代平蔵の跡を継いで織物の研究や製造を行い、戦中戦後も政府や進駐軍の厚遇により順調に事業を進めていた。被告は、紡績会社に勤務する会社員であったが、訴外Aに協力するため戦中に右研究所の経営に加わり、経理を担当していた。その後、訴外Aは、復興金融公庫の融資を受けるため、昭和二三年四月一日、右研究所を「龍村織物株式会社」として法人化し、自ら九〇パーセント以上の株式を引き受け、代表取締役となった。同社の当初の取締役には、被告もDも加わっていたが、同社設立のころまでには、初代平蔵は事業から手を引いていた。

(二) ところが、龍村織物株式会社は、政府の緊縮政策の影響を受け、昭和二四年秋ころ、急速に経営を悪化させ、融資銀行団の管理下に置かれた。そのころから、兄弟間の対立が表面化し、被告は、昭和二五年暮れころ、初代平蔵や訴外Aなどの兄弟から離れ、東京で独自に事業を行うことにし、昭和二五年一二月二九日、龍村商工株式会社を設立した。しかし、被告は、龍村織物株式会社の技術者や職人を一緒に東京に連れて行くようなことはなかった。

(三) 被告の東京での事業は、東京都中央区日本橋に所在する訴外A名義の不動産(「織宝館」という建物があった)に本拠を置くものであった。しかし、訴外Aは、被告が東京で独自に事業を行うことに当初から反対しており、訴外A及び同人と協力して事業の再興を図ろうとしていた初代平蔵、D、Cと被告の間で対立が続くことになった。

D及びCは、被告とは全く別個に、昭和二九年三月、初代平蔵や訴外Aの協力を得て有限会社龍村美術織物を設立し、事業の再建を図り、その後、昭和三〇年一二月に原告美術織物を設立して右有限会社の事業を承継し、今日まで織物業を営んでいる。なお、原告織寶本社(法的には右有限会社を吸収合併した)は原告美術織物に密接に関連する会社であり、不動産、商標権の所有、賃貸、管理、運営を行う会社である。

(四) 初代平蔵は、昭和三一年芸術院恩賜賞を受賞するために上京したが、その際のDやCと被告のいさかいを契機として、兄弟間の軋轢は一層顕著なものとなった。そして、初代平蔵、訴外A、D及びCの四名は、昭和三一年一一月四日、(1) 被告の龍村商工株式会社は、初代平蔵らの関与する原告美術織物とは、製品、営業、経営等の一切の関係がないこと、(2) 原告美術織物は、被告の事業の本拠たる右織宝館に復帰する予定であることを内容とする新聞広告を掲載するに至った。その後、訴外Aは、昭和三四年、被告などを相手方として、右織宝館の明渡しを求める訴訟を提起し(東京地方裁判所昭和三四年(ワ)第九四七〇号)、その勝訴判決を得て右明渡しの強制執行をした。

(五) 被告の経営する龍村商工株式会社及びその関連会社たる製造会社(東龍織物)は昭和四六年に不渡りを出して事実上倒産したが、被告は、その後も東京に拠点を置いて、帯、裂地などの織物、和装小物、室内装飾品の製造販売を続けている。被告は、現在、自己の工場で織物を製造するような事業展開はしていない。

(六) 原告美術織物は、現在、従業員約四〇〇名、年商二〇〇億円程度の会社であり、京都市内に二か所、京都府下、岐阜県、滋賀県に各一か所の五工場を有し、自動車内装裂地、室内装飾裂地などの量産品のほか、高級帯の製造販売などを行っている。

2  原告製品について

(一) 帯について

原告第一製品ないし第三製品は、原告美術織物の烏丸工場地下において、同原告が糸の仕入れを含む全部の製造工程を厳しく管理して手織りで織り上げられる高級帯であり、同原告が「錦帯」と名付ける商品のうち代表的な三銘柄である。原告第一製品及び第三製品の図柄・模様は初代平蔵の創作したものであり原告第二製品のそれは訴外Aの創作したものであるが、原告美術織物は、昭和三〇年の設立当初から現在まで、右原告製品の図柄や製法を変えず、主として百貨店の高島屋グループを通じて全国にこれら帯を販売してきた。高島屋においては、同原告の設立当初から、東京と大阪の店舗に、数年後には京都の店舗に、昭和五二年以降は横浜の店舗にも龍村の常設コーナーを設け、右原告製品を販売している。

原告美術織物は、年間約四〇〇〇本の帯を販売(うち九割は自社工場で製造し、残り一割程度は外注による製造である。)しており、原告第一製品は年間一〇〇本程度、原告第二製品は年間七〇本程度、原告第三製品は年間三〇本程度の販売実績がある。右三製品の小売値は、平成四年の時点で最低一本五八万円、注文次第で一〇〇万円以上数百万円にも達するものである。

右原告製品に類似する図柄の手織りの帯を製造してきた織物業者はなく、取引業界では、それら帯は原告美術織物の製造にかかる高級帯として、昭和四〇年代初めには既に著名であった。

(二) 裂地について

日本に古来から伝わり芸術性の高い裂地としては、正倉院などに宝物として保存されたいわゆる「古代裂」、中国から伝わり茶道を通じて中世以降保存されたいわゆる「名物裂」があるが、その製造法などは近代社会まで継承されていなかった。それら裂地の復元は、素材、染色方法、織り方の丹念な探求が必要とされる非常に困難な作業である。初代平蔵は、織物業者でありながら、芸術性の高いこれら裂地の復元に熱心に取り組んだが、これを量産して市販するまでには至らなかった。

しかし、原告美術織物は、初代平蔵が復元した裂地を基礎とし、現代社会の実用に適するよう図柄を若干アレンジしたり配色を考案して、原告第四ないし第七製品の量産に踏み切り、別表記載の時期以降これらを製造販売している。同原告の製造する裂地は、機械織りであるが、先染め(織り上げる前に糸の段階で染める)の絹の高級品である。

原告第四、第六、第七製品は、正倉院に伝わる古代裂の図柄を基礎にするものであり、原告第五製品は、前田家に伝わる名物裂を比較的忠実に反映するものである。しかし、織物商品としての意匠の考案自体は、訴外Aが中心になって行ったものである。そして、右原告製品は、原告美術織物の製造する裂地の中でも代表的な銘柄であり、このような図柄の高級裂地の製造販売を続ける織物業者は同原告以外に存在しなかったから、右原告製品は、取引業界において、遅くとも販売開始後数年にして同原告の製品として著名なものとなった。

原告美術織物は、原告第四製品を年間一〇〇ないし一五〇メートル、原告第五製品を年間七〇〇ないし八〇〇メートル、原告第六製品を年間六〇〇ないし七〇〇メートル、原告第七製品を年間一〇〇〇メートル、それぞれ1.2メートル幅で製造し、そのうち八割程度をテーブルセンター、仕立て帯などに加工して販売し、二割程度を茶道具業者や袋物業者に原反のまま販売している。

3  被告製品について

被告は、昭和四〇年代から帯の製造販売を始めたのだが、昭和五七年ころ以降、織物製造業者に依頼して機械織りの被告第一ないし三製品を製造し、東京近辺で販売するようになった。これら被告の帯の図柄・模様・色合は、外見上いずれも原告第一ないし第三製品と全くといってよい程酷似している。被告第一及び第二製品の小売値は、昭和六二年の時点で一本五八万円、被告第三製品の小売値は一本三八万円であった。被告の帯の年間販売量は三〇〇〇本ないし四〇〇〇本である。

また、被告は、別表記載の原告主張の時期ころ以降、織物製造業者に依頼して機械織りの被告第四ないし第七製品を製造し、東京近辺で販売するようになった。これら被告の裂地の図柄・模様・色合は、外見上いずれも原告第四ないし第七製品と全くといってよい程酷似している。

二本件合意の有無について

1  被告は、初代平蔵の始めた事業の分割に関する本件合意により、初代平蔵の考案した織物の図柄や龍村織物美術研究所・龍村織物株式会社が使用していた織物の図柄につき、機械織りにより製造し販売することが許されており、被告自身も初代平蔵の始めた織物業を継承したものであると主張し、その証拠として〈書証番号略〉(和解契約書)を提出する。

そこで、まず同書証について検討するに、前掲証拠によれば、同書証の原本は、初代平蔵の親戚の前沢源造という人物が、当時対立していた訴外Aと被告の間に立って和解交渉を行っていた際、双方に署名を求めるため墨書により起案したものであることが認められる。しかしながら、当裁判所に提出されたものは、そのコピーである(被告は、前記明渡訴訟中にその原本を紛失したと供述している)ところ、その体裁や記載内容の続き方に照らして、一個の文書としてどのような原本が存在したのか判断し難く、同書証をもって、確定した和解内容を記載した一個の文書が存在したことやこれに基づき本件合意があったことを認定するのは不可能である。

2  次に、被告は、同書証の原本が存在し、これにより本件合意があった旨供述するので、この点について検討する。

被告の供述するとおり、真実、本件合意があったとすれば、前記認定の昭和三一年の新聞広告や明渡訴訟はあまりにも唐突であり、被告の供述と整合しない。

また、本件合意があったとすれば、被告としては、その後時を経ずして初代平蔵や訴外Aの考案した図柄・模様を基礎に機械織りの織物の製造販売を開始していたと考えられるが、本件においては、そのような事実を認めるに足りる証拠は十分ではない。

まず、被告は昭和四〇年代になるまで帯を製造販売していない。次に、〈書証番号略〉中には、被告が被告第四ないし七製品の裂地を昭和二〇年代半ばには製造していたとの記載があるが、被告が龍村織物株式会社の技術者の協力なしに右裂地の製造を行うことができたという点は疑問であるし、被告が右裂地の製造開始時期につき長期間何ら明確な答弁をしなかったという弁論の経過に照らし、右証拠の記載を採用することはできない。被告が被告第四ないし第七製品の製造販売を開始したのは、原告主張のとおり昭和五〇年代と認められるのである。

さらに、被告の供述する原本紛失経過も、そのような重要文書の紛失経過として不可解である。

したがって、本件合意があったとする被告の右供述は信憑性に疑問があって直ちに採用し難く、他には本件合意を認定するに足りる証拠はない。

三右認定事実に照らせば、原告第一ないし第三製品は、図柄・模様の考案自体は初代平蔵又は訴外Aにかかるものであるが、商品としては、昭和三〇年の原告美術織物の設立以後の同原告の製造販売実績により、遅くとも昭和四〇年代初めには、取引社会において同原告の商品として認識されていたというべきである。また、原告第四ないし第七製品は、訴外Aを中心として原告美術織物が考案し製造販売したのであるから、別表記載の原告の製造販売開始時から数年にして、取引社会において同原告の商品として認識されていたというべきである。したがって、被告が被告第一ないし第七製品を製造販売する行為は、原告美術織物の商品と誤認混同を生ぜしめる不正競走行為であり、不正競走防止法一条により差止めの対象となる。

四なお、被告は、古代裂や名物裂は日本に伝わる美術工芸品であり、その図柄・模様は国民的財産として公知であって国民が自由に使用できるのもであると主張する。しかしながら古代裂や名物裂の図柄自体が写真刊行物に紹介されているとしても、それらの図柄・模様を織物商品に利用するのは、単に写真に撮影するのとは異なり、丹念な研究が不可欠で非常な困難を伴うのであって、誰にでも容易に行えるものではない。したがって、原告製品の図柄・模様が古代裂や名物裂を基礎とするものであっても、これを利用して製造された原告の帯や裂地は、量産が可能な織物商品を製造しようとする企業努力の成果として、不正競走防止法(及び意匠法)の保護に値する。

また、正当行為、権利濫用及び善意使用に関する被告の抗弁1の主張については、既に説示のとおり、その基礎となる事実関係が認められないから失当である。

第二被告の意匠権侵害行為について

請求原因3の各事実は当事者間に争いがない。

〈書証番号略〉によれば、原告意匠は、正倉院の古代裂の中の「七曜四菱文暈繝錦」と呼称される図柄・模様と類似するものであることが認められる。しかしながら、既に説示のとおり、そのような古来から伝わる美術工芸品の図柄・模様を工業上利用可能な織物商品の図柄・模様に利用することは極めて困難な作業であるから、原告意匠が、その出願前に織物商品の図柄・模様として公然知られていたものではなく、織物業に携わる者が容易に創作できるものでもない。したがって、被告の抗弁2の主張は失当であり、被告が被告第八製品を製造販売する行為は、原告意匠権を侵害するものであり、意匠法三七条による差止めの対象となる。

第三被告の著作権侵害行為について

原告美術織物が原告第四製品を説明するため原告説明文を使用していることは当事者間に争いがない。しかしながら、原告説明文は、同製品の図柄・模様を客観的に解説するものに過ぎず、原告美術織物の同製品に関する思想・意図などを創作的に表現したものとは認められず(要するに、織物商品としての創作性以外に原告説明文に独自の創作性があるとはいえない)、著作権法の保護を受けるような著作物とは言い難いから、著作権侵害を根拠とする原告美術織物の本訴請求は失当である。

第四被告の商標権侵害行為について

一請求原因5(一)の事実は当事者間に争いがなく、〈書証番号略〉によれば、被告は、昭和六〇年秋以降、その製品の帯の商品表示として被告標章(一)、(二)を使用していたことが認められる。そして、〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨によれば、被告標章(一)、(二)の「名物」は名物裂に由来することを示す一般名称であり、被告標章(一)の「錦」及び同(二)の「金襴」は織物の種類を表す一般名称であることが認められるから、被告標章(一)のうち、商品の個性を表現し識別機能を有する中心部は「有栖川鹿手」であり、同(二)の中心部は「二人静」であって、取引社会でそのように略称される可能性が非常に強い。

したがって、被告標章は原告商標と類似する商品表示であり、原告商標との誤認混同を惹き起こす虞れが強く原告商標権の侵害となり、商標法三六条による差止めの対象となる。

二なお、右書証によれば、「有栖川錦」とは名物裂の中で独特の幾何文様を有するものの名称であり、「二人静」とは、同題名の能に使用される衣装の模様を表す名称であって、いずれも名物裂の研究者などの専門家の間に良く知られていることが認められる。しかしながら、「有栖川錦」や「二人静」という原告商標が、特定の図柄・模様を有する織物の名称として普通に知られているとか織物の品質を表現するものとして普通に用いられているということはないから、被告の抗弁3の主張は失当である。

第五原告らの損害の数額について

一前記認定のとおり被告は、一年間に帯を三〇〇〇本ないし四〇〇〇本販売しているのであり、このような被告の営業規模に照らせば、被告は、原告ら主張の三五か月の間、被告第一ないし第八製品、被告標章(一)、(二)にかかる帯を、少なくとも別表の数量販売していたと推認すべきである。

二しかしながら、不正競走防止法には、不正競走行為による利益が被侵害者の損害と推定する旨の規定はなく、そのように推定すべき経験則もない。したがって、原告美術織物としては、不正競走行為によって生じた同原告の逸失利益や品質の劣る類似品の販売行為によって信用が害されたことを根拠とする慰藉料をもって損害とすべきところ、本件においては右の主張立証はないから、不正競走行為を理由とする損害賠償請求は失当である。

三被告の意匠権侵害による原告美術織物の損害については、意匠法三九条一項によって、被告が侵害行為によって得た利益の額を損害額と推定すべきところ、〈書証番号略〉によれば、被告は、被告第八製品の販売により、少なくとも同製品一メートル当たり五一〇〇円(二〇〇メートルで一〇二万円)の利益を得ていたと認められるから、これが原告美術織物の損害額となる。

四被告の商標権侵害による原告織寶本社の損害については、商標法三八条一項によって、被告標章を付した商品の販売行為によって得た利益の額を損害額と推定すべきところ、〈書証番号略〉によれば、被告は、被告標章(一)、(二)にかかる帯の販売により、少なくとも同製品一本当たり五万円(二六本で一三〇万円)の利益を得ていたと認められるから、これが原告織寶本社の損害額となる。

第六結論

以上の次第で、原告美術織物の本訴請求は、被告第一ないし第八製品の製造販売等の行為の差止め及び損害賠償金一〇二万円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和六三年二月二一日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、原告織寶本社の本訴請求は、被告標章(一)、(二)の使用の差止め及び損害賠償金一三〇万円とこれに対する右同日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、原告らのその余の請求は失当である。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九、九二、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官見満正治 裁判官橋詰均 裁判官愛染禎)

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